ニューヨークに来て半年ほど過ぎた頃、私はクイーンズの語学学校からマンハッタンのミッドタウンにある美術学校に転校した。
美術学校のすぐ近くにはカーネギーホールがあり、高層ビルが立ち並ぶこれぞニューヨークといった場所で、クイーンズの語学学校とは何もかもが違う。
ここに入学できれば4年間のI-20を発行してくれるし、なによりも語学学校にはもううんざりだった。
まだまだ私の英語力には問題があるが、とにかく当初の目的どうり自分の生活をART一色にしたかったのだ。
(*アメリカではこのI-20がなければ学生ビザを持っていても違法滞在とる。)
この学校は1875年に設立された歴史のある学校で、日本を代表する岡山出身の洋画家、国吉康雄がかつて通い、教職をしていたことがあり、かの有名なジャクソン・ポロックやロバート・ラウシェンバーグなど多くの有名アーティストを輩出した学校だ。
あのマドンナも有名になる前は、この学校で絵のヌードモデルをしていたそうだ。
沢木耕太郎の『彼らの流儀』という本の中で、下積み時代のマドンナと出会った日本人男性の短いエピソードを描いた「ライク・ア・ヴァージン」というルポルタージュがあるが、そこに出てきた美術学校というのが、この学校のことらしい。
私は日本で活動していた資料や作品のポートフォリオを学校に提示して、その後面接を受けて、晴れて入学を許可された。
科は絵画、彫刻、版画の大きく三つの分かれていて、その中から技法や材料などによって細かいクラスに分類されてあり、私は彫刻科の彫塑のクラスを選択した。
そのクラスは人物のモデルを見ながら、それを粘土で作っていき、最終的には、石膏か樹脂で型取りしたりするという内容だった。
なぜそのクラスを選んだかというと、人体というアカデミックな勉強に興味が少しあったのと、子供の頃から粘土遊びは一番好きな遊びだったという単純な理由からだ。
絵画ついては、誰かに教えを請うつもりはなく、自己と向き合うための表現手段であり、逆に私自身のオリジナルな感性が邪魔されないように神経を使っていた。
彫刻科の教室というのは地下にあり、他のクラスとは独立された感があって、どこか自由な雰囲気が私には心地よかった。地下と言っても天井高もあり、天窓があったお陰で明るく閉塞感は全くなく、落ち着いて制作に打ち込める環境だった。
クラスメイトはアメリカ人の他にも色々な国の生徒がいて、年齢もまちまち。
ギリシャ、フランス、ロシア、メキシコ、その他諸々で、その中で日本人は私だけだった。
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