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クリスマスの出来事




クリスマスシーズン到来で、ストリートのアーティスト達も世の中のクリスマス商戦に乗じて、作品を沢山売ろうと気合いが入っていた。

ストリートのアーティストもクリスマスが終われば、NYの寒さも一段と厳しくなることも相まって、来年の3月頃まではストリートには出てこない。

したがって、ここでできるだけ作品を売っておきたいのである。

NYの街はクリスマス一色。

学校も12月に入ってからは、ちらほらと早めに休暇をとって故郷に帰省する生徒もいたりして、普段とは違う雰囲気だった。

やはりこちらではクリスマスが日本のお正月みたいな感じなのだ。

人々の心の高揚感を肌で感じ、私はストリートに出てきていた。

もうその頃の私は、作品が沢山展示できる自作の組み立て式の大きなイーゼルをストリートに持って来ていて、他のアーティスト達と遜色ない感じでやっていた。


その日も朝早くにストリートに出て、そのイーゼルを組み立てて、作品を飾って準備完了したところだった。

ストリートを歩いている人ははまだまばらだったが、しばらくして黒のロングコートを着た背の高いスラットした日本人の男性が私の前を通り過ぎた時に一瞬こちらをチラッと見た。

それから数歩進んで、クルッと踵を返して戻ってきた。

今度は私の作品の前に立ち、真剣に作品を観ていた。

私は黙って、その様子を少し離れたところで伺っていた。

男性は納得したように、私の方を見て英語で話かけてきた。

私は彼が日本人だとわかったので、日本語で答えたらびっくりされた。

彼は私のことを日本人とは思っていなかったようだ。

なぜなら、私は黒い帽子に黒いサングラス、黒のロングコートに黒の皮パンと黒のブーツという出立ちで、相当怪しい格好をしていたからだと思う。

話を聞くと、彼は東京で数店舗のレストランなどを経営している実業家で、来年の春に長年の夢だったリゾートホテルが完成するそうだ。

NYでそのホテルに飾るアート作品を自分で探しているということらしい。

歳は私とあまり変わらない感じだったが、声にはハリがあり、ハキハキと喋る表情や動作に実業家からしい自信がみなぎっていた。

彼は私の作品がとても気に入ったようで、とりあえずここにある作品を全部売って欲しいと言ってきた。

さらに私のポートフォリオをパラパラめくりながら、「これと、これと、これと…」と言いながら注文制作も色々頼まれ、それでトータルでいくらになるかを聞かれた。

いきなりのことだったので、私も頭が全然回らなく、合計金額を計算するまでにかなり時間がかかった。

やっと計算ができて、その金額を伝えると、彼は今ここで現金で払うと言うのだ。

そして注文の作品ができたらここの作品と一緒に東京の会社に送って欲しいと言われた。

我々の話を横で聞いていた連れの人が「もっと他も見て、じっくり考えた方がいい」と小声で耳打ちしているのが聞こえた。

でも彼は連れの人の言葉には耳をかさず、即決して私にお金を払ったのだった。

あまりにも突然すぎる展開に、私の頭は整理できていない。

「さあ、やるぞ!」と気合いを入れてストリートに出て来たものの、いきなり肩透かしを喰らった感覚だ。

もう売るものが無ければ帰るしかなく、私はさっき並べた作品をまた片付け、組み立てたイーゼルを再び分解していた。

その様子を見ていたストリートのアーティスト仲間が心配して声をかけてきた。

先程の出来事を彼に話すと、「シゲル、それはすごいじゃないか!やったな!」って、自分のことのように喜んでくれて、握手を要求された。

握手は幸運な相手から運気をもらうという意味なのだろう。

そのことが瞬く間に他のストリートのアーティストに伝わって、次から次へと私に握手を求めてやってきた。

まさにこういう反応って、アメリカらしい。

次から次へとストリート仲間が来るものだから、帰り支度がなかなか進まなかったが、それでもやっと支度ができて、私はストリートの仲間たちに「また来年もよろしく!良いクリスマスと新年を!」と挨拶をしてストリートを後にした。

私は大金を持っているのにもかかわらず、普段と同じように地下鉄で帰ってしまった。

今考えると、とても危険なことだったのだが、そんなことを考える余裕もないほど私は冷静さを欠いていたのだろう。


私のようなクリスチャンでもない留学生にとってクリスマスは、あまり普段と代わり映えもない。

お店もほとんど閉まっているので、どこかに出かけることもなく家でおとなしくしているのが関の山だが、その年のクリスマスはサンタさんから大きなプレゼントをもらった特別なクリスマスだった。


それから随分後になって彼からあの日の後日談を聞かされた。

彼は、「あの日、ホテルに帰って友人達にストリートで絵を買った話をしたら、みんなからすっごく怒られちゃったんだよ。そんなところで買ったらダメだと。絶対に絵は送られて来ないから!」って散々な言われかたをしたらしい。

それでも彼から私のところにそういった疑心暗鬼の確認連絡は一度も無かった。

たった一度、ストリートで会っただけの私を彼は全面的に信頼してくれていたのだ。

ストリートは、インチキなものを売っていると思い込んでいる人もいるのは事実。

実際に偽ブランドのバッグや財布などもストリートで売っている。

でも、日々身を削るようにして作った作品をストリートで売っている人間だっているのだ。

まさにストリートは善も悪も、様々なものが内包している特別な場所である。


実は5年間のNY生活に区切りをつけて、日本に帰ってきて数ヶ月が経った頃、突然彼から連絡がきた。

彼の会社と独占契約の話を持ちかけてくれたのだった。

その時の私は帰国して、またゼロからの出発だった。

こらからどうやって絵を描いて生きていくか思案していた矢先のことだったので、この時の嬉しさは忘れられない。

表現の世界でまだ生きて続けることができると思った。

彼からすれば、アーティストとしての私を応援する気持ちで声をかけてくれたのだと思う。

その数年後、社会情勢や世界経済と連動してスポンサー契約は終了したのが、海の物とも山の物ともつかぬ私に、唯一手を差し伸べてくれたのは彼であった。

今でも彼には感謝しかない。

そして、今でも大事な友人の一人である。

人間というのは自分の知らないところで色んな人の愛や応援があるもので、それがあって今の自分があることを決して忘れてはならない。

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